No.9 宮原 宏徳(みやはら ひろのり) スポ医10期卒

      名護市消防本部

      消防士

 

「院内救命士の経験を活かして」

皆さん初めまして。スポーツ医科学科第10期生で、現在沖縄県にある名護市消防本部で働いております、宮原宏徳と言います。今回、私の経験をみなさんにお伝えしたくご連絡させていただきました。

 

私は2009年に国士舘大学体育学部スポーツ医科学科に入学しました。沖縄から上京しての生活は不安でいっぱいでしたが多くの人と出会い、友人にも恵まれてとても楽しい学生生活でした。しかしその一方で、大学3・4年時に行われた病院実習では、自分の知識と技術の低さを痛感し、この経験がきっかけとなり私は大学卒業後、浦添総合病院で病院救命士として働き始めました。

 

浦添総合病院では、ドクターカーの運行に携わりながら様々な症例とともに、救急現場から集中治療に至るまでの経過を見ることができました。さらに医師や看護師、消防職員から多くの知識と技術を学び、消防側と病院側のパイプ役として現場活動で双方が求めることを知る事ができ、とても貴重な経験でした。

 

病院救命士としての勤務年数は1年間ではありますが、その経験は退職後も様々な場面で活かされています。私が勤務する沖縄県北部には3次医療機関がありません。浦添総合病院は沖縄県ドクターヘリを運航している病院という事もあり、重症が疑われる症例はドクターヘリを要請し、3次医療機関がある中南部へ搬送します。ドクターヘリと現場活動する際に、ヘリスタッフとは病院で勤務していた時に一緒に現場活動をしていたため、コミュニケーションは勿論、ヘリ側の処置バックのどこに何が入っているか把握しているため、現場で医師・看護師が処置をする時にすぐ補助ができる事です。この様な現場がある度に1年間病院で働いて本当に良かったなと感じます。

 

 

働きながら公務員採用試験を勉強するのはとても大変な事ですが、大学で学んだ事を再確認する場としてとても良い職場だと思います。

 

救急救命士の処置範囲が拡がり、私が勤務する医療僻地では救命士の知識・技術がとても必要だと感じています。これからも病院救命士として学んだ事を無駄にせず市民のため頑張っていきたいと思います。

  余談ではありますが、名護市消防本部には第7期生の仲滎眞 盛一さん(ライフセービング部出身)も勤務しています。また現在使用はしていませんが、全国的には稀な滑り棒が今尚残っています。沖縄県北部に来た際は是非お立ち寄りください。

2016.02.15